1976年に誕生した『ドッグ・タウン・スケーツ』はクロスのバンダナとボールチェーンを皮切りに世界中のスケーターたちに大きな衝撃を与えたことは言うまでもない!
今も当時の通りブランドのコンセプトや独特のワークアートからなるデザインは一切変わっておらず、コアなファンを中心に根強い人気。
『Loads Of Dogtown』の上映と共に注目を集めている。
スケートボードでランプを高く飛ぶ「バート(垂直)・スタイル」は、現在の世界中の エクストリーム・スポーツ、ユース・カルチャーに共通の要素の一つとなったが、 このスタイルがスケートボード・メーカーによって考案されたものではないという事実は、 あまり知られてはいない。
実際このスタイルは、「あらゆる漂流物が海に流れ出す場所」と言われた通称 DOGTOWN"で生み出されたものだった。
DOGTOWNは、カリフォルニアのサンタ・モニカとヴェニスの 一部の地域につけられた名前である。この地域は、70年代初期は殆ど廃墟と化しており、
不良達がサーフィンすることで有名になった見捨てられたビーチだった。
この地に集まったジャンキー、サーファー、アーティストは地域一帯に漂う独特のローカリズムが醸し出す緊張感によって、ストリートを生き抜く為のセンスと
スタイルに磨きをかけていた。
そしてDOGTOWNはローライダーなどのカスタム・カー、グラフィティ、 ストリート・ギャング、そしてサーフボードのデザインの中心地となっていった。
この土地でジェフ・ホウ&ゼファー・プロダクション・サーフショップを 共同経営していたジェフ・ホウ、スキップ・イングロム、そしてクレッグ・ステシックは
ゼファー・スケーティング・チーム(Z-BOYS)を結成した。
このチームは、人種も年齢もバラバラのティーンエイジャー達で構成されていた。 彼らは崩壊寸前の家庭を抜け出し、ジェフのサーフ・ショップを溜まり場にしていた。 Z-BOYSは60年代の平面的で不恰好なスケートボードのスタイルではなく、 学校の校庭や水のないプールで全く新しい立体的なスタイルを「刻む」練習を繰り返し 直感的にサーフィンの動きを応用していた。その滑り方はスタイリッシュであり、 また同時に即興的なものでもあった。
そして75年、エポックメイキングとなったベイン=キャデラック・スケートボード・ チャンピオンシップ(通称「デル・マー・ナショナルズ」)に突然登場したZ-BOYSはその革新的なスタイルで、全く無防備だった当時のスケートボードのメインストリームに不意打ちを食らわせた。
逆立ちやウィリー等、60年代の滑り方を引きずっていた他の出場者達にとって、彼らのスタイルは全く予想していなかった突然の爆発のように衝撃的なものであった。
瞬く間にこのアグレッシヴなDOGTOWNスタイルと、Z-BOYS特有の喧嘩っ早い態度は、 スケートボード界を支配するまでになり、そしてジェイ・アダムズ、トニー・アルヴァ、 ステイシー・ペラルタは、世界中のティーンのスーパー・ヒーローとなった。
しかし皮肉な事に、このZ-BOYSのデビューは、彼等の名声の始まりであると同時に、 チームとしてのZ-BOYSの終焉をも意味した。 Z-BOYSの時代はメンバー達がそれぞれスケートボードのキャリアを求めて旅立ち、
終わりを迎えたのだった。
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